道院長法話

プロフィール 金剛禅総本山少林寺茨城茨城岩井道院
       道院長 森 久雄 正範士七段 少法師

  『道院長メッセージ』

「調和の世界」実現に向けて
少林寺拳法をとおして私たちが目指すものは、「調和(中道)の思想」である。
自分が霊止として生かされていることを自覚し助け合える人間関係の輪を築くことの中にも「調和(中道)」がある。
開祖の説かれた「半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを」という少林寺拳法の理念は、一つの幸せを半分に分けようというものでは なく、他人が幸せを感じるときに自分もそれ以上の幸せを感じることができるというものであると言うことを感得し、さらに修行に邁進したいと思います。


役 職  一般社団法人SHORINJI KEMPO UNITY・武専コース教師・茨城地区講師
     日本スポーツ協会スポーツ少年団認定育成員・茨城県坂東市スポーツ少年団本部長
兼 任  金剛禅総本山少林寺千葉県教区教区長・金剛禅総本山少林寺千葉野田道院長
     一般社団法人SHORINJI KEMPO UNITY武専千葉地区講師・野田市体育協会少林寺拳法連盟副会長


道院長法話

2022年5月 道院長法話

合掌
 コロナ禍と言いつつ早や3年目となりました。 道院の修練もwithコロナにだんだんと違和感も薄れゆき、になんとなく活気を帯びてきた昨今ですが、どうしてもマスクを外せないのが悩みのタネですね。  
 新入門の門信徒の方とのコミュニケーションもアイコンタクトだけになってしまいます。本来ですと、面授面受という形での対応となりますが、 このところ顔が見えなくてもこの関係は成り立つように思えてきました。  
 私の勤務先(職場)でも今年の新入社員の素顔をまだ拝見していません。そういえば昨年の 新入社員の素顔も見ていませんでした。(お互い様ですね。)  しかし、「顔」全体が見えなくてもその人の言葉使いや立ち振る舞い、仕草でその人なりの「顔」を表現できるというのもまた不思議で、しかも相手の方に想像してもらうというのも興味深いものかもしれません。  
 私にとっては、この2年間今までに体験したことのない環境がwithコロナによりもたらされています。リモート会議はもちろんの事、在宅勤務など 人生70年を迎えるにあたって実に毎日が新鮮なに思えてなりません。
 この時、この場所、この人たちと、この瞬間、毎日が人生の楽しい修行です。


「生かされながら生きている」(「強さ」とは何か。P152~)
1. テーマの主旨   開祖の思想やその生き方について考える。
2.ポイント
 ◇「なるようにしたらなるようになる」
  ※つまり、思うようにならない人生を思うようにしたいと思うからいかん・・・
  「人は一人では決して生きていけない」
  ⇒ 諸法無我 「人はみな必要があって生かされている」 
  ⇒ ダーマの法則
 ◇「宿命論は否定してきた」
  ※変えたければ明日からだって人生変更できるんだから・・・
 「自己の新たな発見を見出す ・・・「縁起の理法」(三法印)
  ※人間は人々との「縁」によって変えられ、変わっていく存在である。
  自分は必ず変えられると信じて、良くなろうと努力することを怠らず、多くの人々との「縁」を
  大切にし、人の為にすすんで奉仕する行為を実践すること。

【参考】
 「縁起の理法(ダーマの認識)」
  「諸行無常」・形あるものはそこにとどまらず常に変化する
   → 「金剛禅」では、自己確立(諸行無常)
    ※「自己確立」という形で自己を易筋行修練の中から自己のあり方を変化させ常に漸々修学の心で変化
      を求め邁進することを説いている
  「諸法無我」・自己を相対的に見ること、相手がいてはじめて自分の存在を証明できるという教え
   → 「金剛禅」では、自他共楽(諸法無我)
    ※「半ばは我が身の幸せを、半ばは他人の幸せを」
      というように相手を認めることにより自己の存在価値を表現でき、一人(単独)では生きられない
      という事を説いている。
  「涅槃寂静」・諸行無常と諸行無常の境地に至れば、迷いから解放され涅槃寂静の世界に到達
   → 「金剛禅」では、理想境建設(涅槃寂静)
    ※自己を確立し、自他ともに相手の存在価値を認めること(自他共楽)により、物心ともに平和で豊かな
     理想の世界(境)を建設することが出来る。
  ◇易筋行としての修行法「四諦・八正道」
    「四諦」四つのテーゼ(命題)
     第一の真理 → 人生は苦である。
     第二の真理 → 人生が苦であるのは、何らかの原因があっての事である。
             その原因とは、人間の心のうちに燃えさかる欲望の炎である。
     第三の真理 → 欲望を滅することができれば、結果として苦も消滅する。
     第四の真理 → では、いかにすれば欲望の炎を消すことができるか。
             正しい智慧を身につけ、正しい生き方に生きるとき、欲望はおのずから滅する。
    ※「諦」とは、「真理」
    → 一切皆苦  「諦め」の哲学(敗北主義の哲学ではない)
     ◆一切皆苦 この世は無常であって永遠に続く「楽」は無い
     ◆「諦め」の哲学 正しく自己を認識し自己を取り巻く状況を的確に判断すること。
       これが仏教の「諦め」である。
     ※諦めきれずにもがいているところに、「汝、諦めよ」の信念が必要。
     ※敗北主義とは違う。何の理由もなく初めから諦めていることを敗北主義という。
                      参考資料 仏教のあゆみと金剛禅(仏教史編・宗教論4)
 2022年5月1日 茨城岩井道院長 森 久雄

 


 

2021年4月度 道院長法話

合掌
3月も半ばとなり、緊急事態宣言も緩和される見通しとなりました。また、ワクチンも接種が始まったことから気分的に少し安心したところです。
 道院行事も徐々に正常の活動に戻りつつあります。しかし、以前と比べると生活様式も含めライフスタイルが大きく変わりました
 まず、食事会(会食)がなくなったということが大きいでしょう。今までは何かにつけ、行事開催ごとに「布薩会」(「反省行」を旨とする道院行事です。門信徒が日常生活や道院修練に臨む姿勢を振り返り、反省をし、善い行いを実践してゆくことを自らに誓いあうものです。)や「阿羅漢会」(「感謝行」を旨とする道院行事です。門信徒とともに、家族、近所の方、友人等も誘い合い鉢盛一菜を持ち寄って日頃の生活に感謝を込めていただくものです。)を行ってきましたがコロナ禍により断念しています。
 その反面、オンラインによる会議や情報交換会・講習会等が急速に普及したことにより、時間の使い方が大変便利になった感があります。
 4月からの行事が予定されていますが感染防止には徹底しそれぞれの修行に邁進したいと思います。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
(今日の開祖語録)
 「今日からこういう精神生活に入ろうではないか。たとえば体の古傷をもう忘れてしまっているように、心の傷も今日から忘れてしまおう。人生には挫折に陥るようなこともある。ところがいくら考えてみても、昨日のことは取り返せない。別れた彼女のこと、就職できなかったこと、悩んでみたって仕様がないじゃないか。昨日は昨日、今日は今日、明日は明日だ。」
(1969年4月 本山行事)
【解説】
 開祖も戦中戦後を通じて、つらい挫折や悩みをきっとたくさん体験されたことでしょう。
「過去を忘れることをしたから、今の自分がある」と自らのことをふり返って話されています。
終わったことを後悔していつまでもクヨクヨ悩んだり、先のことが気になってドキドキしたり、オロオロしたり。それで今やるべきことがつい疎かになってしまったり。
誰にもそんな経験はあることでしょう。今この瞬間の連続が次へとつながるわけですから、「今を大事にして最善を尽くそう」、「今日を一所懸命に生きよう」と、開祖はこれからを生きる若者たちに説いておられました。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
合掌再拝 2021年3月14日 森 久雄(茨城岩井道院長)


2020年12月度 道院長法話
合掌
 12月も押し迫り、いよいよ今年も「師走」という感じになってきました。
 今年を振り返ってみますと、コロナ禍の影響で2月からほとんど思うような修練活動が出来ないまま年末を迎えてしまいましたが、この約1年をとおしていろいろな事を教訓として学びました。
 仕事に関しては、「在宅勤務」や「リモート会議」等今まで経験したことのないものを急速に有無を言わさず展開されされましたが、「為せば成る」もので、人間の環境の変化への対応の強さに驚きを感じています。
 しかし、反面今までの無理や無駄も浮き彫りになってきました。通勤時間や一斉会議のロスタイム等、なくても何とかなるものも多く見いだされこれからの就業体制に大きく影響が出るものと予想されているようです。
 これからの時代は、自分の時間に今までになく余裕が出て趣味や娯楽また、家庭でのコミュニケーションが十分に取れるような時代になってくるものと思います。
 そのような中で、少林寺拳法への興味を多くの人に持っていただくような、地域に根差した道院活動をこれからは行っていく必要があると思っています。
 2021年は明るく、楽しく、健康な年でありますようにご祈念申し上げます。
本山より開祖語録が届きましたのでご紹介いたします。

(今日の開祖語録)
「何かあったら、地域ぐるみ、組織ぐるみでやれるようになろうではないか。自分だけが強くてもだめなのだ。少なくとも自分の周辺に動員かけ合える連中をつくれ。脅されて、引っ込んだりするなよ。だから横のつながりをもっと持てと言うのだ。損得ではないぞ。少なくとも自分たちの組織防衛、同志の助け合いをやろうじゃないか。そういうことがなかったら、拳法なんかやめとけ。無意味だ。」
(1969年10月 指導者講習会)
【解説】
横のつながりや協力し合うことの大切さを、開祖は、弱い羊の群れでなく、集団で狩りもできる強い狼の群れに例えて語られました。中国在住のころ、そんな狼の生態を研究されたこともあったそうです。中国から引き揚げて来るときも、帰国してからも、開祖はいつも人を引き連れて行動され、その先頭にあって集団の要でした。
立ち向かう相手や状況はいろいろあれど、損得でなく力を出し合えて、しかもまとまれる。そんな心や行動力やつながりを身につけた人々の集団、そして、そんな集団をつくり、率いることのできるリーダーの存在。それが必要であることを開祖は体験から身に染みてわかっておられました。
合掌再拝 2020年12月12日 森 久雄(茨城岩井道院長)


2020年11月度 道院長法話

合掌
 月日の経つのは早いもので、「向寒の候」を迎える季語となってしまいました。
 今年はコロナ禍という言葉が耳になじんでしまい、すっかりマスクも定着してしまいました。道場の修練風景もすっかり様変わりしてしまいましたが、自然の中では今年も紅葉の時期がやってまいりました。
 変わらぬ風景を楽しみたいと思います。

(今日の開祖語録)
「人間としての心や良心に芽生える思いに国境などなく、俺にとって悲しいことは、あの人たちにとっても悲しいことだという、この単純な道理、わかろうとしてみろよ。人としての喜びや、痛みや怒り、また親子の情や恋人、友だちを愛しむ気持ち、そこには国の別、人種の違いは基本的にないはずだ。」

【解説】
開祖はとても感性の豊かな人でした。喜怒哀楽の感情表現もストレートで、弟子たちに対しても、嬉しいときは一緒に喜び、楽しいときは声を上げて笑い、親の訃報に接して悲しむ者とは周囲を気にせず一緒になって泣かれたそうです。
早くに父を亡くし、母と幼い妹二人と苦労した少年時代。開祖は「自分は食べなくても妹や母親には食べさせてやりたい、そういう与えたい愛とでもいう気持ちをいつも切実に感じて育った」と回想されています。自分のことのように他者を思う――開祖の思いやりは、親が子を、子が親を愛するような無私の愛、慈悲の心の現れでもありました。   

合掌再拝 2020年11月2日 森 久雄(茨城岩井道院長)


2020年6月度 道院長法話

合掌
 6月に入り、いまだに新型コロナに関する脅威は拭い去れないものがあります。私たちの生活環境は全く予想もしない変化となり、これからの生活様式というものも大きく変化をすることとなるでしょう。
 我が道院も6月半ばから週1回の修練に切り替え、3密のリスク管理を十分に考慮した修練体制を整え対応しているところです。
 今週から本格的な梅雨入りとなりますが、この時期「雨の紫陽花」はまた格別の情緒があり心が和むものです。

(今月の開祖語録)
「幸せとか生きがいというものは、人によってとらえ方はさまざまでしょう。が、私は、人間関係の豊かさ、これしかないと考えている。人と人との関係、実際には打算で成り立っていることが実はかなり多い。
 人への愛や信頼というものは、損得や打算では決して成り立たないし、長続きしない。極論かもしれないが、してあげて心から喜びを感じられる、本当によかったと思える、そうでないのなら、初めから何もしないほうがまだ正直だとも思う。で、金でも地位でもない、力でも強さでもない、人間関係の豊かさに価値を感じる、この考え方が人類規模で深まっていったとき、真に幸せな世界が可能になると信じている。いい年こいて青臭いと笑われようがかまわない。確固たる自信をもってそう信じている。」

 開祖の格言、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを」にその思いは込められています。不遇の生い立ちから敗戦へと、厳しい現実をくぐり抜ける中で、人や社会を深く洞察された開祖の生き方の、それが結論の一つでした。
 自分のために協力してくれる人、自分の協力を喜んでくれる人、そして、一緒に喜び合える人がいることの幸せ。
そんな人との関係をつくることができる少林寺拳法の修練は、開祖のいう「人間関係の豊かさ」につながっていくものです。
合掌再拝 2020年6月13日 森 久雄(茨城岩井道院長)


2020年5月度 道院長法話

合掌
 5月も半ばになりましたが、いまだに新型コロナウイルス感染の恐怖にさらされています。
私たちも、3密対策を実施するべく修練自粛を続けているところですが、なんとか6月までには終息の兆しを見出し、少しでも早い平常生活復帰を望んでいるところです。
 今月は、本山から送られてきた「開祖語録」をみなさまにご紹介したいと思います。
(今月の開祖語録)
「自らを信じると書いて「自信」という。絵がうまいとか、歌がうまいとか、生まれつきなんていうのは多少はある。でも、努力をすればある程度はいける。やればできるという可能性は、誰にもあるはずだ。だから、自分で自分をあきらめるなよ、子どもたち。」
 悪い奴らとのいざこざもあったという少林寺拳法の草創期。仲間の難儀は見過ごすなと、自らも先頭に立って行動した開祖でしたが、もめごとを抱えて泣きついてくる拳士がいても、はなから人頼みの姿勢であるのを見てとると「やらない先から泣きごと言うな。自分で片をつけてこい!」ときびしく突き放すこともあったそうです。

 今回の語録は、子どもたちへのお話です。やれる可能性があるのも自分なら、やらない理由をつくり出してしまうのも自分。自分をほんとうに大切にするとはどういうことか。開祖の「あきらめるなよ」は、尊い「可能性の種子」をもつ私たちへのエールでもありました

合掌再拝 
2020年5月10日 森 久雄(茨城岩井道院長)


2020年4月度 道院長法話

合掌
 今年もこの時期、桜が満開です。外出自粛の週末、部屋の中からの花見も乙なものです。普段あまり気にしていないところにピンクの花模様を見つけこれも外出自粛の賜物と少し感謝の気持ちがわいてきます


 私たちにとって、3月から4月にかけては、自治会の総会また、連盟や教区の会議と大変忙しく慌ただしい時期でもありました。しかし、この感染症騒動の最中集会自粛の観点から当然道院や武専での修練も中止となり急に暇をもてあそぶ生活環境となってしまいました。
 この生活環境に少し戸惑いを感じているのは私だけではないようで、普段忙しくしている道院長さんや幹部拳士の方は異口同音同じような答えが返ってきました。
ここにきて、更に東京はじめ新型コロナウイルス感染者の爆発的増加(オーバーシュート)が発表され、「首都封鎖いわゆるロックダウン」構想が持ち上がっています。
 中国の武漢市を感染源とする不名誉な現状に中国も二転三転する「言い訳」ともとれる対応やアメリカとのやり取りを俯瞰すると何ともやりきれない思いを感じているのは皆さんも同じでしょう。こんな時こそ世界一丸となって防止対策に知恵を絞り助け合うのが本来の姿です。
 しかしながら、現実社会では一朝一夕に解決とはいきません。人と人の交流が今の時代超スピード化によりあっという間にオーバーシュートとなってしまいました。このような中、私たちも、仲間から感染者を出さないためにもこの「目に見えない敵」との戦いに知恵を絞って臨まなければなりません。
それには、毎日の検温による体温の変化を確認することと、マスク装着、手指の消毒そして、雑踏を避ける事です。
この地道な努力しか方法がないというのも如何ともしがたいのですが、現状を真摯に受け止め最大限努力を惜しむことなく実行していきたいと思っています。
さて、このような中で新年度を迎えたわけですが、少林寺拳法の年間行事も大きく変更をせざるを得ない状況になっています。
こんな時こそ、仲間同士の情報交換を密にし、金剛禅の根本教義の一つである「八正道」に帰依し、特に「正見: 自己中心的な見方や、偏見をせず前記の如く中道の見方をすること」
が必要であると思っています。
 また、我々禅門衆としての心構えの一つに「歩歩是道場」という禅語があります。
私たちの修行は決して道場での修練だけではないということです。毎日同じように見える生活であっても、この時間と同じものはありません。よって、この時、この瞬間を大事にし、周りの生活としっかり関りを持ち、一挙手一投足がすべて大事な学びの場(道場)となるということに尽きるということです。
日々修練の心境で修行に励みたいと存じます。
合掌再拝
2020年4月4日
 森 久雄(茨城岩井道院長)


2020年3月度 道院長法話

合掌
 今年は稀にみる暖冬と騒がれているところでしたが、もうすでに春本番を迎えようとしています。豪雪地帯にとって今年は過ごしやすい冬であったのかもしれませんが、昨年の台風15号の進入経路の特異性等、このところの気象の異変を感じずにはいられません。日本の四季を肌で感じ育ってきた我々の年代にとっては、妙に不安を掻き立てられてしまうものがあります。夏の水不足も含め、これからの季節変動が気になる所です。

先月、機会があり東宝映画「福島フィフティー」試写会に行ってまいりました。試写会の招待券を友人から頂き、早速観に行ってまいりました。実を言うと私ともう一人、少林寺拳法の仲間がエキストラで出演しており、エンドロールの出演者欄に自分達の名前を見つけ、更に満足感が倍増し感激に浸ることができました。自分達の撮影シーンを思い出し楽しみながらの鑑賞でした。内容の詳細については割愛させていただきますが、渡辺謙扮する吉田所長と佐藤浩市扮する伊藤当直長による総勢50名の職員や関係会社の方々の葛藤と故郷を思う心を描いたものでした。福島原発の1号機、3号機の水蒸気爆発事故の中、生死のはざまで人はどのような葛藤に苛まれるのか・・・・。極限状態で映画の最後のシーンで「我々は何を間違えたのだろうか?・・・」という自問自答ともとれる言葉に対して、「人間のおごりが自然を支配できると思ってしまったことだろう」と返していました。
 我々は、諸行無常の中で諸法無我の境地で「生かされている」という事を教えられました。今がよくてもそれは今の事であり永遠に存続することはない。よって、今を大事にすることは勿論であるが、今がすべてではない。生かされている自分を取り巻く大いなる力(おおみちから)をダーマ(大宇宙の法則:必要があっていかされている)霊魂の人たる認識を持ち「おごり:煩悩」に陥らないことが肝心です。
 私も、煩悩に苛まれてばかりで本当に「凡人」であることに気づかされてばかりですが「非凡なる凡人」を心に決めこれからも「三宝に信心帰依」し修行に励みたいと思っています。
 さて、先月は先ほどの煩悩にまつわる事柄で掲載を逃してしまいました。もし、期待していた方がいらっしゃいましたらお詫び申し上げます。
 また、先月来大騒ぎになっている「感染症」では、各国の対応や日本政府の対応を皆さんが注視しているところです。人と人の触れ合いがいかに多いかを改めて感じとった次第です。
 しかし、いろんな報道を見てみますと傍目に見てもひどい対応をしているところがたくさんあります。開祖の言われた「人・人・人・人の質」は究極の選択の時に出るのでしょう。自分だけ良ければの映像を目の当たりにすると何かしら「人間の姿」の本性を見た感じでやるせなさがこみ上げてきます。我々教団の人間はそのようにならないことを確信しつつ日々の修行に励んで頂きたいと思います。
 合掌再拝
 2020年3月1日
 森 久雄(茨城岩井道院長)


2020年1月度 道院長法話
合掌
 新年あけましておめでとうございます。
 みなさま方に於かれましては、ご家族ともども健やかな新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
 旧年中は、教区活動にご尽力をいただき感謝申し上げます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

 さて、2020年は国内外にとっても非常に重大な年になる事でしょう。日本では、東京オリンピック・パラリンピックが開催されることから、すでにオリンピック一色となっているところもあるようです。競技主体、しかもオリンピック競技種目になっている団体がマスコミに持ち上げられ、世間の評価を受けるような風潮になっています。
競技主体で、しかも勝つことに固執する様なマスコミ報道がスポーツ本来の趣旨から大きく外れてしまう事を危惧しています。
ですから、こんな時こそ地道に人づくりのための「行」としての易筋行である「少林寺拳法」の心身一如と精神修養、護身連坦を兼ねそなえた素晴らしい修行体系を大いにアピールしていきたいと思っています。
  国内は、東京オリンピック・パラリンピック開催ムードで非常にお祭り騒ぎになると思いますが、アジアの情勢は相反してある意味、それ以上に緊迫した非常事態が起こることも否めない状況にあると言えます。
 アジア外交も民間レベルでは非常にうまくいっています。特に少林寺拳法グループと中国は「信頼」という結びつきで、開祖の遺された硬い絆で結ばれています。
しかし、国家レベルでの外交としては、日韓関係や日中関係はその「信頼」が崩れ、アメリカ主導の利益主体外交となっています。
 昔、2005年頃「国家(日本)の品格」(藤原正彦著)という本が大変流行りました。
藤原正彦氏曰く、日本は世界で唯一の「情緒と形の文明」をもった国家である。
国際化という名のアメリカ化に踊らされてきた日本人は、この誇るべき「国柄」を長らく忘れている。「論理」と「合理性」頼みの「改革」では、社会の荒廃を食い止めることはできない。
いま日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことである。すべての日本人に誇りと自信を与えなければならない。
 とりわけ今の国家外交には、日本人特有の「武士道精神」の品格ある毅然とした態度が、ある意味「信頼」に繋がる外交となるような気がしてなりません。
そのためにも我々の金剛禅教団から育った門信徒の中から、天下国家を論じ大いなる気概を持ち、国を導いてくれるような人材が多く育ってほしいと願う毎日です。
 2020年も早や三ケ日が過ぎ、日々修練の幕開けとなりますが、「原点回帰」を念頭に今年も一丸となりみなさまと協力し合い教化育成に邁進する覚悟ですのでよろしくお願い申し上げます。
 
合掌再拝
2020年1月3日
 森 久雄(茨城岩井道院長)

 


 

2019年12月度 道院長法話
合掌
 今年もあっという間に師走に入りましたが、年を取るにしたがって時間が過ぎていくのが更に早くなっていくというお年寄りの言葉が何となくわかるような気がしています。(私もまさにお年寄りですけどね)
 令和の時代が始まって最後の月になりましたが、門信徒のみなさまに於かれましては、どんな年だったでしょうか?
 さて、今年を振り返ってみますと、千葉県は台風の度重なる被害に大変な思いをいたしました。私事で恐縮ですが、私の弟の住まいが南房総市(富浦)にありまして、9月の台風15号の直撃を受け、屋根がすべて破壊されてしまいました。雨が強かったため復旧もままならず、家の中の家財道具はすべて水浸しとなり手のつけようのない有様でした。
 門信徒のみなさまの知人、友人、親戚の方にも同じように罹災された方が多くいらっしゃることと思います。
 今回改めて、こんな時こそ組織力を発揮し門信徒以外の方も含めボランティア活動のシステムを構築する必要があると感じました。
 東日本大震災や鬼怒川氾濫の際にも県内の多くの少林寺拳法関係の方たちがボランティア活動に参加していました。今回の台風15号の罹災に関しては地元の災害にも関わらず、情報伝達の不備もあり思うような連絡体制がとれていないという現状が浮き彫りとなり今後の体制の在り方に大きな課題を残しています。
 これらの教訓を基に、これからの活動の一環として、金剛禅運動の輪を広げるためにもボランティア活動への積極的な態勢づくりを構築し、対外活動の推進に力を注ぎたいと思います。
 今年も残すところあとわずかとなりましたが、2020年は、1月1日から第三世師家して宗昂馬現少林寺拳法グループ副代表が就任いたします。新しい年明けと共に新しい少林寺拳法グループが誕生となります。組織そのものは大きく変わりませんが新しい時代の幕開けとなります。
 今年の流行語大賞は、「ワンチーム」という言葉で締めくくられましたが、私たちは新たな体制を祝し「一致団結の教団」として誓いを新たにしたいと思っています。
本年は、大変お世話になりました。
来年も更に良い年でありますようにご祈念申し上げます。
合掌再拝
2019年12月10日
森 久雄(茨城岩井道院長)

 


2019年11月度 道院長法話
合掌
 11月に入り、すっかり秋めいた気候になりましたが、まだ寒暖の差が激しく体調管理には十分留意を払うところです。
9月、10月と台風の影響による被害が続き、罹災された方々に対しお見舞い申し上げます。
 私も、電力の台風災害復旧に赴く中で、自然環境に対する文明の力(りき)の脆さと、それに頼りすぎる我々の生活環境を改めて反省する思いがありました。私が社会人となり会社に入りたての昭和46年当時からすると、到底想像もできない世界になっています。生活環境がこのように便利になる一方で我々世代は、この目まぐるしい環境の変化に駆け足でついていくのが精いっぱいで、ややもすると取り残され観に苛まれます。しかし、反面利便さに頼りすぎるリスクも大きくなるという両刃の意を示唆しています。利便さになれ過ぎてしまわないように常にリスク管理を怠らない日々の生活を心掛けたいと思っています。
時代背景に関してもう一つ思うことがありました。
 少林寺拳法創始期の昭和22年当初の時代背景は、「喧嘩に強くなれる」「身を守れる」というところから「護身鍛錬」を一番に求める入門者が多くありました。
 しかし、現在の社会では当時のような「喧嘩に強くなる」といった風潮はほとんどなくなったと言っても過言ではありません。
正当な理由があっても、相手に手を出して危害を与えた方が加害者と判断されがちな世の中ですから、護身術としての技の使い方も大変難儀な時代になっています。
先月の教区長法話の中で、「師家及び管長より各道院、教区における教化育成活動の再点検を促されました。」というお話をお伝えいたしました。もう少し深堀しますと、易筋行のみの修練に特化しているのは、「行」としての本来のあり方ではなく「単なる武道」の修練に他なりません。
そもそも、「行(拳)」の中から自己のあり方を見つめ「法(禅)」を納めるところに金剛禅の醍醐味があり、自他共に成長するよろこびを共有するところにあります。その行の中から一見相反するものを「一如」としてとらえる「修行」を我々は易筋行という形で行っています。
今日、平和な世の中になり以前の様な「喧嘩に強くなる」という目的から「技術を楽しむ」という「自他共楽」本来の目的に変わりつつあります。
しかし、部外の人たちからすると、どうしても技術を見てしまうし、また、私たち教団も技術を「行」として見せることに力を注いでしまう事にも少し問題があるのかもしれません。
 本来ならば、金剛禅に入門し教義の入門編(見習いの期間)を十分にとり理解した次の段階(級拳士の期間)で初めて「行」としての技術を教授するという事から、見習いの期間は、鎮魂行と作務で自己を見つめ直し自分が変われると信じることから始まる「易筋行」の修行に入ることが大切ということになります。
金剛禅創始72年を経た今日、科学や文化、文明の変遷と同時に我々の生活環境も大きく変わりました。宗教法人金剛禅総本山少林寺に伝承される「宗門の行」としての在り方と「拳禅一如」の調和の教えを本来の門信徒の修行体系とし、内修・外修ともに大事な門信徒の不変の修行と捉え「拳禅一如」から「禅拳一如」に変化したとしても決して不変の修行形態に変わりはないと信じています。
合掌再拝
2019年11月1日
森 久雄(茨城岩井道院長)


2019年10月度 道院長法話
合掌
 9月8日に台風15号による停電を伴う、大きな被害が千葉県内各所に発生し、更に10月12日にも追い打ちをかけるように台風19号が発生しました。被害にあわれた門信徒のみなさまに心よりお見舞い申し上げます。
 私も、仕事の関係で木更津地域や市原地域、四街道地域と連日復旧作業に赴きました。
 ダーマに生かされているという、大宇宙の法則による「自然」との「共生共存」の意味合いと現実に今更ながらに畏怖の念を感じているところです。

 9月の教区長法話の中で、日本を取り巻くアジアの情勢について、韓国との話題を記述しましたが、ある所から教区長は「嫌韓」ですか?というご意見を頂きましたが、私は決して今話題の「嫌韓」と言われる中には入っていません。客観的な物の見方でご意見を述べただけですので誤解を招いた方にはご容赦願いたいと存じます。

さて、9月28日に開催されました「都道府県教区長会議」の中で師家及び管長より各道院、教区における教化育成活動の再点検を促されました。
特に易筋行のみに特化した修行に対して布教者としての取り組み方に警鐘を鳴らされています。
宗教法人金剛禅総本山少林寺に伝承される「宗門の行」としての在り方と金剛禅運動の根本的な在り方を再認識し「拳禅一如」の調和を本来の門信徒の修行体系とし、内修・外修とも十分な修行に勤しんで頂きたいと存じます。
10月は、達磨祭の月間でもあります。達磨大師の遺教と開祖の金剛禅教団として建立された運動を祖師に祈念し思いを新たに修行に邁進したいと思います。

合掌再拝
2019年10月15日
森 久雄(茨城岩井道院長)

 


2019年9月度 道院長法話
合掌
 9月に入り、猛暑もようやく峠を越し、朝晩いくぶんしのぎやすくなりました。耳をすまして秋の気配を虫の音に探してみるのも一興かと風流な思いにふけっているところです。
さて、このところ毎日のように社会面をにぎわしているのは、韓国との外交問題ではないでしょうか。これといった対応策もなくお互い感情のぶつかり合いと政治的駆け引きだけで妙に腑に落ちない状況の中、開祖の述べられた「アジアの平和なくして世界の平和はない」という言葉の意味深さを今更ながらに思い浮かべているところです。
来年は平和の祭典オリンピック・パラリンピックが日本で開催されますが民間レベルの外交ではどうにもならない現状に来ているようです。
韓国と日本、中国とアメリカ、北朝鮮問題も含めアジアの平和はどうなるのでしょう。アジアの平和は戦後74年足らずで逆戻りとなってしまうのか・・・。
我々にとっての「平和」の意義を「8月」という戦争を考える記念日が続く月間に於いて、いろいろと考えさせられました。
特に、近くて遠い国になろうとしている韓国の国民については、いったいどういう人種だろうと改めて考えてしまいます。韓流ブーム全盛期は、素朴で儒教に培われた目上の方を敬う古式豊かな考え方を持ち、日本人の忘れていた「こころ」を彷彿させてくれるような人間味のある情緒豊かな作品を多く目にしていた私にとっては理解でない出来事として映し出されています。
日韓合意の一方的な破棄や、徴用工問題、従軍慰安婦問題のぶり返し、海上自衛隊に対する火器管制レーダー照射事件等々、数えればきりがない不可解な行動を繰り返し、更に裁判所の判決までもがなぜ??と不可思議な行動を理解しようとしても理解できない事象が多くあり、韓国民の常識を疑う事しきりです。たぶんみなさま方も同じようなお考えであろうと思っています。
長々と、韓国に対する個人的な不平不満を述べてきましたが、「韓国とは、どういう国なのか」という私の個人的な疑問を払しょくしてくれるような興味深い記事がある新聞のコラム欄に掲載されていました。
記事の受け売りで恐縮ですが、韓国人は、自分たちの都合のよい結論をもとに歴史をつくり、以前の政権を握っていた者を否定します。根底には、以前の悪い政権から今の良い政権に変えたのだから事実はどうあれ何が何でも悪者となっていただかなければ納得しないためそのように扱うことになるようです。
これは、歴代大統領の末路を見れば、韓国の歴史に対する考え方や扱い方は、一目瞭然です。現在の韓国(大韓民国)にとって前の政権は、日本の植民地政策ですから当然日本は悪者です。戦後、日韓請求権協定(1965年)を締結した前政権も含めて悪者になりますので、韓国民はこの協定を到底賛成できるものではないということになるのでしょう。
歴史の内容はどうあれ、「日本は韓国民を苦しめる、倒されて当然の国である。」でなければならないのです。このような国民感情の国ですから、裁判所も国民世論の影響を受けやすい体質になっており、重ね合わせて考えてみれば韓国社会における、この反日無罪放免のような風潮は国内世間一般の常識として、容認しているというのが結論のようです。
ただ今回の日韓対立は、過去の対立とは異なり、当初は韓国の最高裁判所(大法院)が出した元徴用工問題の判決に端を発したものであったが、今や輸出規制問題や、安全保障問題と拡大していき落としどころが見えない状態になっています。
ここは、奥ゆかしい日本人としても到底受け入れられない状況になるはずです。しかし、韓国民の中にも日本人と同じような価値観を持ち同じような考え方をしている国民も多数いることも事実です。「人、人、人・・・すべては人の質にある」当該事象に携わる者(人)の質によって結果が変わってくるのも事実です。「破邪顕正」のことばどおり、ただしく理解していただくのは時間がかかることですが、ここは血気にはやらず冷静な気持ちと毅然とした態度での対応をお願いするしかありません。
我々は、周りの情報に踊らされることなく八正道の修行のごとく、正しい眼(正見)をもって道理と真理を見極め正しい判断のもとに勇気を持って行動できるようにしたいと思います。
(参考)
正見:自己中心的な見方や、偏見をせず中道の見方をすること。
破邪顕正:誤った考えを打破し、正しい考えを示し守ること。
不正を破って、正義を明らかにすること

【注意】けして嫌韓ではありません。

合掌再拝
2019年9月5日
森 久雄(道院長)

 


2019年8月度 道院長法話

合掌
 8月に入った途端、この危険ともいえる暑さには少々困り果てているのが実情です。
道場もサウナ状態となり、子どもたちの修練も30分も続けたら汗だくで教えている方が心配になり、「10分間休み」の繰り返しです。しかし、見ていると子供たちは休み時間の方がさらに元気がよくてかえって心配が増してしまいます。
 何はともあれ、この暑さの中で道院に参座するという精神が修行の賜物と感謝しています。
大人の門信徒の方は無理をしないで修練(易筋行)に励んでいただきたいと存じます。
 さて、夏と言えば甲子園。今年の夏はたぶん多くの方が一度は関心を持ったと思われる話題が、岩手県大船渡高校のピッチャー登板についてのコメントでしょう。
 世間一般の報道には、表と裏があるので、登板しようがしまいがどちらにつけ賛否はあるものです。ただ、指導者の青少年育成については、将来を見据えた「一貫指導」が原則であることに変わりないと思っています。また、一貫指導の方法も個々人の最終目的に合わせてプログラムを立てて行きますので、野球となるとチーム指導ですからその目標を合わせるのが困難であると思います。特に、まれにみる逸材の選手が混じっているとすればその選手にすべてを期待し夢を託してしまうというのも否めない事実であると思います。
しかし、感情に流されることなく、判断し決断された指導者の英断に観客席からしか観戦していない人たちの思いはなかなか伝わらないと思いますが、門信徒のみなさまのお考えはどうでしょうか。
 勝敗だけにとらわれることなく、「一貫指導」を念頭に将来を見通したぶれない指導は、金剛禅の「行」にも通ずるものがあります。
先日、東京で大きな大会が開催されましたが、子度たちはメダルを獲得することにのみ集中するものです。それは仕方のないことですが、我々指導者がいかに「こだわり」から「理(ことわり)」に変化させ、勝敗や優劣への極端な「固執」「こだわり」を避け「中道」としての在り方を悟らせる術(すべ)を教授したいものです。

合掌再拝
2019年8月5日
森 久雄(茨城岩井道院長)


 

2019年5月
合掌
 今年のゴールデンウイークは「令和」一色に染まり、皇室や歴代天皇の歩みまた、皇室典範の報道で大変な盛り上がりを見せていました。中でも平成は戦争のなかった元号として唯一の存在であるとの報道もされていました。
 今に生きている私たちは、この戦争のない平和な時代に何の違和感もなく過ごしていますが、歴史は繰り返すといわれている様に自分たちだけは・・・と思っていても巻き込まれる危険性は否めません。
 強国アメリカと政治経済も含めてどの程度歩み寄りまた、距離感を保つか、政府外交の動向が気になるところです。
 さて、10連休も終わり令和元年の仕事始めは、連休ボケと闘いながらのお仕事に大変な思いをしているのは私だけでなく皆さんも同じかと思います。いかがでしょうか。

 先般開催された全国都道府県教区長会議の中で、宗由貴代表より西原春夫先生(元早稲田大学総長・現少林寺拳法東京都連会長)の著書「明治維新の光と影」(万葉舎)の出版が紹介されました。本書の中で、自律力強化教育の必要性を述べています。これは、先生の法律学者としての目で歴史を俯瞰した中での持論でもあります。


 我々は、金剛禅の拳禅一如の教えと行の中から、自己を確立し、自他ともに調和のとれた世界を現生に創ることの尊さを掲げている。しかし、日々修行の中から言葉的には理解をしているものの行動としてのスキルが身についていないのが現状である。
 見識のある第三者から見ると、教え(思想)・技法(易筋行)・教育システム(漸々修学)は、なんと素晴らしいものか思われていることでしょう。
 この金剛禅の三宝ともいえる開祖の遺された遺教を十分に活かし、迷うことなく後世に伝授することが我々門信徒に託されたものであると思っています。
 「日々是好日」の禅語にあるように、日々の行動を見直し良きにつけ、悪しきにつけ自分に課せられた修行であると自覚し、日々の行動(生活)に自分を高めることのできるチャンスを見出し与えられた時間に感謝の気持ちを込めて大事な瞬間を最大限に活かしていきたいと思っています。
合掌再拝
2019年5月9日 森 久雄(茨城岩井道院長)

 


2019年4月
合掌 初夏を思わせるここちよい陽気と思いきや、一転してすっかり花冷えの陽気になってしまいましたが、新緑に囲まれるこの時期が私にとって一番好きな季節ですので、充分に満喫しているところです。 春のこころウキウキさせるような新鮮な空気と大地からほとばしる勢いのある息吹きに、生かされているという実感(ダーマ)を感得している今日この頃です。これも年を重ねた私たち世代の特権(年の功)かもしれません。ありがたいことです。 この春から小学一年生になる道院門信徒のお母さんより先日、子どもの友達が入門を希望していますので手続きをよろしくお願いいたします。とのメールが届き、「こころより歓迎いたします」と返信したところです。 このような「口コミ」による入門希望者や見学者がある中で、保護者の方からの「口コミ」による推薦は実に「信頼」という的を射た布教活動と言えます。 保護者の方とのコミュニケーションを大事にし、楽しいと思っていただける修行・修練を行い、「口コミ」を通した信頼で繋がる金剛禅布教に邁進したいと思っているところです。
合掌再拝
2019年4月1日 森 久雄(茨城岩井道院長)

 


2019年3月

合掌
3月も半ばになり、お仕事を持たれている皆様は何かと気ぜわしい時期になっているのではないでしょうか。
斯く言う私もまだ会社勤めをしていますので年度末の残務整理に追われ慌ただしくしていますが、道場の修練時間までにはピッタリと間に合わせるよう業務を調整しています。
この仕事の片づけ方は長年の修練の賜物と自負しているところです。
 さて、掲載の遅れた言い訳はこのくらいにして於きます。
 今年度の活動については皆さまのご協力とご支援により充実した道院活動を展開することができました。心より感謝申し上げます。引き続き教化育成活動の推進による力強い道院活動の展開を推進し布教の原点となる道院単位の儀式や行事の展開を図りたいと考えています。
 少林寺拳法グループの機構改革が終盤を迎える中、専有道場等の外観は整いつつありますが内面的には宗教団体としての認識がまだまだ不十分であると思っています。
 基本的には道院での儀式行事を通した、地道な道院布教活動が大事であると考えており、門信徒同志の易筋行を通した人と人の交流からなる楽しさや、金剛禅教学を学ぶ楽しさを享受することにあると思っています。
合掌再拝
2019年3月10日 森 久雄(茨城岩井道院長)

 


2019年2月

合掌
 さて、昨今のアジア情勢は経済のみならず、軍事的な脅威の真っただ中にあります。開祖が唱えた、「アジアの平和なくして世界の平和は無い」との意味を改めて深く認識せざるを得ない状況に於かれています。特に、軍事防衛については強硬な路線を叫ぶ風潮が出てきているようです。
 私たちは、このような時こそ真の平和達成のために個人がするべき行動や手段を慎重に選ばなければなりません。
 周囲の話題や情報に流されるのではなく、自己の意志としての状況判断の基、考え方をまとめなければなりません。
それは、道院という布教の場で門信徒に正しい判断による伝え方が必要とされているからです。道場布教の原点ともいえる金剛禅の目的である「平和で豊かな理想境」の建設に少しでも近づける努力をしなくてはならない時であると思っています。
 そして、また昨今の超少子高齢化による対策として、外国人の就労問題が国会で大きく取り上げられています。
働く人の激減を予想して2025年問題化取り上げられ、総裁も危機意識について繰り返し説かれていましたが、いよいよ現実味を帯びてきました。昨年の3月末に2045年問題が発表され、更に深刻な状況に陥るとの総務庁の調査結果が公表されていました。
 人生100年と謳われるようになっていていますが、問題は健康で自活できる年齢です。
寝たきりはなく、健康でいられる年齢が大事となります。
 その健康寿命に私たち、少林寺拳法としてどのような取り組みができ、また貢献することの重要性がすでに問われています。特に高齢化時代と外国人就労者の増加を見越した道院でのグローバルな布教や易筋行の在り方も変化工夫をせざるを得ない時期に来ています。
  開祖が、日本人に合う形に工夫し「釈尊の正しい教え」と「達磨の行」を少林寺拳法の「行」として「金剛禅総本山少林寺」建立してから、創始72年目を迎えた現在、社会の状況を踏まえ「行」としての修行の在り方やその方法に変化が求められる時期であるとも考えられます。開祖がアレンジした様に、変化(諸行無常)も「あり」と思っています。教えそのものの変化ではなく、布教に対する手法の変化が求められます。機構改革も専有道場等の設置等が完了し外見的には終盤に入りましたが、布教者である我々の内面の改革はいまだに不明未達です。
いくつかの課題は散見されますが、やるべき教化育成に邁進し確実な一歩を踏み出せるよう日々精進したいと考えています。
2019年2月1日 森 久雄(茨城岩井道院長)

 


2019年1月
合掌
 2019年元旦にふさわしい、清々しい初日と共に新年を迎え誠におめでとうございます。
門信徒のみなさまもそれぞれに良い新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
 今回は、初心に原点回帰し「行」としての内修の教えを鎮魂行の中から体得体感できるような心構えを述べさせていただきたいと思います。
 鎮魂行は、金剛禅における「内修」の実践のひとつです。教典を唱えて教えに心を向け、その内容を心に刻み、自らの行いを省みる持戒、反省の行でもあります。
 ですから、意味も解さずに、ただ唱えれば良いというものではありません。
 また、一同で教典を唱和することが、同じ道を歩む同志であるという意識の形成にもつながりますので、拳士以外でも唱和の内容を聞き取れる速度と明瞭な発声を心掛ける必要があります。
発声は大きすぎない声、抑揚をつけない、区切りで途切れない、溜めないなどに注意が必要です。
教典には、我々が目指すべき目的地と、そこへ向かうための道筋と、そのための実践行動の在り様が、具体的にかつ明確に示されています。
 よって、誰のためでもなく、自分自身に唱え聞かせるためのものです。そして、調息して身心の統一を図り、のちの易筋行の修練に備える「行」なのです。
 今年も内修、外修の調和を目指した修練の中から何かを掴み、感じとり、少しでも良い人生の糧となれる修行に心がけたいと思っています。
合掌再拝
2019年元日
森 久雄(茨城岩井道院長)


2018年12月掲載
合掌
 今月も投稿が遅れまして誠に申し訳ありません。まずはお詫び申し上げます。
 昨今、気温の変化が激しすぎて私の体調もついていくのがやっとという感じです。
木枯らし一号の吹かないまま師走に入ってしまいましたが、皆様方も風邪などひかないように健康管理に努めていただきたいと存じます。
 さて、三法印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)に対する金剛禅との共通点についてお話したいと思います。
仏教でいう諸行無常は、形あるものはそこにとどまらず常に変化する。と説かれています。金剛禅においても「自己確立」という形で自己を易筋行修練の中から自己のあり方を変化させ常に漸々修学の心で変化を求め邁進することを説いています。そして、諸法無我に於いては、自己を相対的に見ることを説いています。たとえば、「子どもが存在することによりお母さんが存在する」といったように、相手がいてはじめて自分の存在を証明できるという教えです。このことを金剛禅では、「自他共楽」と説いています。「半ばは我が身の幸せを、半ばは他人の幸せを」というように相手を認めることにより自己の存在価値を表現でき、一人(単独)では生きられないという事を説いています。
さらに仏教では、諸行無常と諸行無常の境地に至れば、迷いから解放され涅槃寂静の世界に到達する。と説いています。
金剛禅でも同じように、自己を確立し、自他ともに相手の存在価値を認めること(自他共楽)により、物心ともに平和で豊かな理想の世界(境)を建設することが出来るという事です。
私たちは、日々の生活の中から自己確立や自他共楽の教えに接することが多くあります。
自己の感性を研ぎ澄まし金剛禅の三法印を自己の中で確立し、自己の中で理想境建設(涅槃寂静)を成就させることによりこれからの人生観が大きく変わっていくことと思っています。

行住坐臥(ぎょうじゅうざが)という禅語で表されているように、「行く」「止まる」「坐る」「横になる」の日常生活のすべてのあらゆる行動の中に、その時その時に応じた金剛禅のあるべき姿を具現しすべてが一貫した修行の延長であると認識しています。

2018年も残すところ後わずかです。新年に新たな思いを馳せ実り豊かな年となることをご祈念申し上げます。
 本年は、みなさま方には大変お世話になりありがとうございました。
合掌再拝
2018年12月13日
森 久雄(茨城岩井道院長)

 

 

2018年11月掲載
 合掌
 先月は各道院とも門信徒のみなさまと共に達磨祭を厳かに挙行されたことと思います。今月は機構改革が一応の収束を向かえましたので今一度原点に立ち返る意味も含めて機構改革の目的とその背景を確認してみたいと思います。
 2006年に道院と併設支部の財政透明性向上と公益性向上にという目的の基、創始60周年を節目に、開祖の志しを貫徹するため「少林寺拳法の教えのもとに確固たる世界一流の幸福運動を展開するグループとなる」というビジョンを掲げ、グループ全体の在り方を見直す事業が始まりました。
                       
 その背景には、宗教団体の在り方を疑問視する世間の風が大きくなる中、政教分離の原則による組織としての法令順守(コンプライアンス)があると思っています。     
 開祖は1948年12月、宗教団体「黄卍教団」を設立し、始めから宗教団体として出発し少林寺拳法を易筋行として捉えていたにも関わらず、それまでは宗教団体としての取り組みが不十分であったことも否めない事実であると考えます。 
        
そのため2007年以降「法人の区別化・独立性」「法令遵守」を掲げバリューアップ活動も立ち上げ、グループ組織全体で門信徒の教化育成の点検と更なる充実に向けた事業が展開され、私たち道院長も一丸となってその事業方針を推進してまいりました。 
  
 以上のことから、この機構改革は、少林寺拳法グループの今と未来を守るための改革であり、決して門信徒を増やすためを目的とした改革でないこと認識することが大事であると理解し、これからの道院で活動等をとおして理解活動に邁進したいと考えています。

 そして、少林寺拳法グループの各団体それぞれの役割と連携に対しても偏った考えでなく組織として何一つ欠けてはいけないものとして、全体を俯瞰する眼を養う事も併せて理解していただくように努めたいと思っています。 
                                           
 現在、道院拳士数(門信徒)減少というものが直面する大きな課題とされ取り上げられています。しかし反面、内容的には少人数でそれぞれの個性を充分に発揮できる充実した修行になっていることも事実です。また、少人数の中で金剛禅にどっぷりと浸かる時間を与えるのも門信徒への教化育成としての手段ともなり、この減少しているといわれる今こそが面授面授のいい機会ではないかとも思ったりしています。
                        
合掌再拝
2018年11月14日 森 久雄(茨城岩井道院長)

 

 

2018年10月掲載

合掌
 金剛禅門信徒にとって10月は、達磨祭の月です。
 この達磨祭は、皆さんご存知のとおり達磨大師の命日とされている10月5日、またはその前後に毎年挙行されています 祖師達磨大師を礼拝し、大師の命日にちなみ、その遺徳を偲ぶとともに門信徒の一人一人がいっそう拳禅一如の修行に精進し、「達磨の子」として自己を確立し、真の強さとやさしさを備えた人間になることを、大師の前に誓うための大切な儀式です。
 この達磨祭は、開祖忌法要と並ぶ大事な金剛禅の儀式となりますので各道院、小教区に於いて門信徒の皆さま全員参加での挙行をお願いいたします。
 さて、先般師家講話の中で2025年問題を踏まえ、先(将来)をイメージした少林寺拳法の在り方について述べられていました。
 社会の変化に対応する危機意識を持って、護身術的見識の中から物事を判断し感性を磨きその中から将来の少林寺拳法の姿をイメージするという事を投げかけられていました。
 昨今、武専の学生数の激減や道院門信徒の伸び悩み等の課題が多く寄せられています。
 現実、道院門信徒の高齢化が進んでいる中で少年部門信徒の拡大に対する取り組みが必須のテーマであるといっても過言ではありません。
 将来を見据えた少年部の育成こそがこれからの金剛禅に課せられた使命であると考えます。
金剛禅の教えと技法を工夫し、如何に子供たちに喜んでもらい、養行として浸透させ、道院の指導者となるまで大事に教化育成するスキルを道院幹部指導者が身につける必要があります。
子供たちにとって、居心地のいい道院にならなくてはなりません。
 開祖が釈尊の正しい教えと達磨大師の行を日本人に合わせた形にアレンジし易筋行として金剛禅を建立した様に今はそのような変革の過渡期に来ているのかもしれません。
高齢者だけの道院にならないためにも今からそれぞれ危機感をもって行動しなくてはなりません。

合掌再拝 2018年10月9日  森 久雄(茨城岩井道院長)

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2018年8月掲載

合掌
 台風一過の清々しい晴天といいたいところですが、異常とも言える危険な暑さがぶり返してしまいました。
私も、仕事の関係で出張しますので水分補給をこまめにおこない熱中症には充分留意し体調維持に努めたいと思っています。
門信徒のみなさまも若さを過信せずこの時期は慎重な対応をお願いいたします。
先般、千葉県教区の交流研修会があり、30名募集のところ39名の参加がありました。
 日頃、少林寺拳法指導上の悩みや、課題の共有と解決策を模索するという、助教・幹部拳士の宿泊交流研修会でした。
道院も教区も人と人とのつながりにより成り立っています。居心地のいい場所には必然と人が集います。
私の所属する道院でも、参座している門信徒のみなさんの顔色を確認しながら楽しく、元気よく、この場所(道院)が
居心地一番と思っていただけるように心がけています。
 子供たちなどは、遊び中心の修行となっていますが、子供たちにとっては、楽しさが一番の様です。
私たち指導者は、「居心地のいい道院」を目指し門信徒のみなさんが求めるものと教化育成の課題をベストマッチ
させることが一番と考えこれからも頑張っていきたいと思います。
今年の夏は、危険な暑さといわれています。体調を整えることも内修の修行ですので易筋行と共に調和のとれた
「行」に励んで頂きたいと存じます。
合掌再拝
2018年8月1日
森 久雄(茨城岩井道院長)

 

2018年7月掲載

合掌
 例年にない最も早い梅雨明け宣言を受け、暑さに慣れない私の身体にはだいぶキツイ初夏となりました。
更に、深夜のサッカーワールドカップに熱狂し寝不足の方もだいぶいらっしゃった様で皆様にとっても熱い夏の幕開けとなったことでしょう。
 サッカーに関してのニュースで、サポーターの観覧席でのゴミ拾いが良識ある態度としてネット上で話題になっていましたが、海外では珍しいことの様です。
しかし、日本では賛否両論があり、がやらないよりはやった方がいいという意見でなんとなくまとまったような形で落ち着いているようです。
 私が以前(20年前)ドイツに出張していた時、サッカーの大会開催時の会場付近には、フーリガンが大勢いて大変危険であるため近づかないようにと地元の人から忠告を受けたことを思い出します。生真面目なドイツ人であると同時に、スポーツ観戦の応援者が数の力で暴徒化するものかと不思議な感覚を抱きながら、日本では考えられない近況に当時はどうしても腑に落ちないものがありました。
今や、日本の渋谷や大阪でサポーターの方々のやっていることも一種のフーリガンの行動ともとれますが、大きな暴力事件等はなく、国民性がここにも出ている気がします。しかし、ゴミはだいぶ散らかっているようです。

 さて、私たちが開催する少林寺拳法大会の会場ではどうでしょうか。
地方大会でよく言われるのがトイレスリッパの整理整頓状況です。私の知る限りでは非常によく意識してそろえられていると思っています。
私の場合、市体育協会の役職上色々なスポーツ大会等に招待されますが、やはり気になるのがトイレスリッパとゴミです。
市の施設責任者の方の中にも同じように気にされている方もおられて、来賓の挨拶の中で少林寺拳法の団体は素晴らしいとその点を強調して褒められる方もおられます。
 「脚下照顧」という言葉が我々には定着しています。道院での心得として新入門者は道院長より訓話をうけ、副読本を熟読し、まず「自分の足元から」という教えのとおり、今の自分自身を見つめ直すことから教えられました。
形的には、はきものをそろえる事と指導していますが、指導者は指導する前に自分自身の今の在り様を見つめ直し、反省すべ所は反省し更に向上すべく漸々修学たる修行を積むことに心がける必要があります。
 我々、金剛禅門信徒は日々修練前の鎮魂行において、教典を唱えて教えを心に向け、自らの行いを省み、自己を見つめ直す機会を頂いています。
 昨今の情報化社会の中で、自分自身の考え方や価値観が確実な自己を現し行動として一歩踏み出すことができているかを確信しなければなりません。
言っている事と行っていることの乖離を常に意識し改善の念に一喜一憂することに徹したいものです。

合掌再拝
2018年7月4日
森 久雄(茨城岩井道院長)

 

 

2018年6月掲載

合掌
 梅雨の兆しはあるものの、だいぶ暑い日が続いています。熱中症には充分留意されて修行に励んで頂きたいと存じます。
 さて、昨今世間を大騒動の渦中に巻き込んだのは、某大学でのアメリカンフットボール試合中に犯した反則行為に端を発した事件である。しかしその後、大学組織全体の疑惑や危機管理対応能力の賛否へといろんな方向に発展している。
 私は、公益財団法人日本体育協会(現スポーツ協会)日本スポーツ少年団認定育成指導員として、年に何度かスポーツリーダー兼スポーツ少年団認定員養成講習会の講師を依頼され、次世代のスポーツ指導者に対しスポーツの持つ極めて大事なスポーツマンシップとスポーツで培った精神を社会生活の中でどのように活かすかという事に重点を置き、スポーツを通してどういう人格を形成していくかという、手段としてのスポーツの在り方を強調しているところです。
今回の出来事は、そのようなスポーツ界全体の理念を覆すような事件であり、また背景に指導する立場の人間が何人もかかわっているという事に対して、スポーツを愛する人たちの怒り心頭は計り知れないものと肌で感じているのは私だけではないでしょう。
 競技主体の人間のややもすると陥りやすい、しかも絶対に犯してはならない一線を大衆の面前で恥も外聞もなく越してしまうその精神を皆が疑いの眼で目を見張ったことでしょう。
今回、報道の焦点はマスコミ対応の賛否と指導方法について大きく取り上げられていますが、私たちの金剛禅的ものの考え方から、私的な思いも含めて別の角度から今回の事件に直結する課題についていくつか掲げてみたいと思います。
〇世界中で行われているスポーツそのものの勝利至上主義への疑問
 スポーツは楽しむものであって、必ずどちらかに勝敗はつきものです。負けて何が悪いという事であり、スポーツにかかわることは、常に負けを味わう事である。したがって、負けをどう捉えるかが大切であり、負けた時の態度こそが大切であると思う。
スポーツに関わるすべての人間にとって重要な言葉に「グッド・ルーザーであれ」(good loser)というのがあります。日本人的に言えば「潔さ」で、勝つことだけへの執着は非常に醜いものである。潔い負けっぷりは称賛に価すると思う。
 私たちは、生まれた時から競争の世界にはまっている。幼稚園のかけっこから始まり、一等賞をとれば家族そろって大祝賀会が始まる。それが年を積むことによって段々と増幅し勝利至上主義へと突き進むのである。大事なのは、その過程で如何に大局を俯瞰した影響のある教えを受けるかである。同じ勝利をつかむにしても、勝つという事と負けるという事の相反することから得る智慧が必要となってくる。
開祖の死ぬまでは生きているという言葉のとおり、生きている事への感謝と威厳というものは、開祖が死を意識した時から始まったような気がしてなりません。
死というものを意識することによって相反する生への充実につながっていくものであると思います。ここに中道(調和)という意味合いがよく読み取れると思います。
 技術修練の中に中道(調和)の教えが活かせることによってはじめて易筋行としての価値が生じてくるものと思います。

合掌再拝
2018年6月7日
茨城岩井道院長 森 久雄


 

2018年 2月掲載
合掌 
光陰矢の如し・・・1月の正月気分もあっという間に過ぎ去り、節分を迎えようとしています。
故事にもあるように、月日の経つのはあっという間で二度と戻ってこないから、無為に送るべきではないという戒めをかみしめているところです。
 今年は創始70周年から第一歩を踏み出す年として位置付け、道院としても組織の変化に対応したいろいろな取り組みを実施する予定です。特に、「行」と「法(教え)」は別々に修行するものではないという事を再認識し、「教えを垂れて人を導き・・・」とあるように易筋行をとおした教えの実践による導きが無くてはならないと思っています。
 技術の教えのみに終始することなく、易筋行の中から「人を導く」ことが達成できてはじめて金剛禅門信徒の責務を全うできたと言えると思います。
 現在、組織の変化に伴い、私たち門信徒の修行環境にも変化が生じてきていますが、新しいものにチャレンジする精神が我々の主行たる「動禅」としての在り方でもありますので、日常生活の中にも、「行」として捉えるものが多く存在していることに気づき、日々の修行の中から自分の生き方に対するヒントをつかみいつの間にか変わったという自分を見出してほしいと願っています。
合掌再拝 2018年2月1日 森 久雄(茨城岩井道院長)

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2018年1月掲載
合掌
 2018年元旦にふさわしい、清々しい初日と共に新年を迎え誠におめでとうございます。
門信徒のみなさまもそれぞれに良い新年をお迎えのこととお慶び申し上げますと共に本年もよろしくお願い申し上げます。
 金剛禅は達磨の禅風を継承し、北禅の漸々修学を旨とした日々の修行の積み重ねによる自己の確立にあり、それには自己の
内面を奥深く見つめ直す修行の実践、すなわち日常生活も修行の一環と捉えなければなりません。
 本年も、易筋行に限らず絶えずアンテナを張り巡らせ「禅」の心(智)で物事を判断できる自己の完成をめざしたいと思って
精進する覚悟でおります。
合掌再拝
2018年元日 森 久雄(茨城岩井道院長)

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2017年12月掲載
 合掌  2017年もいよいよ1ヶ月を残すのみとなりました。
 この時期になると今年一年間はどうだったかなという反省の念に駆られますが皆様はいかがでしょうか。
 日々の忙しさの中でそれどころではないという方も多いと思いますが、ひとときの振り返りも時によっては必要と思うことがあります。
 年齢を重ねると、時としてこのままの延長で人生を送って良いものかと、ふと考えさせられる時があります。
 「拳と禅」の調和の修行の中から得たものをどのくらい人生の中で役に立てたかではなく、これからの人生の中でどのような生きざまを描くかが課題であると思う日々であります。
 益々寒さが厳しくなる時期を迎えますのでみなさま方に於かれましては、お身体をご慈愛なされ
 2018年の輝ける年を共に迎えることをご祈念申し上げます。
 合掌再拝 2017年12月3日 森 久雄(茨城岩井道院長)

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2017年11月掲載
合掌
 11月3日・4日・5日と本山で「ブルースカイキャンパスin多度津」が開催され、晴天に恵まれ千葉県と本山の空が一体となり、まさにブルースカイキャンパスそのものでした。
 今年は少林寺拳法70周年のテーマ「架け橋たれ」を基に、いろいろなイベントや式典が催されてきて、改めて人と人のつながりの大切さをかみしめる機会となったことと思います。
 開祖は、「人は他人とのかかわりあいの中で自分の存在価値を感じ、人と人とのつながりの中から人間は成長する。だから世の中をよくするには、自分幸せも考えるが相手の幸せも考えるような、そんな人間を増やす以外にないということを私はみつけた。」(宗道臣語録より)と説かれている様に、相手が在るから自分が存在するという理念、諸法無我(相対的なものの見方)の教えです。 そして、金剛禅の教えは、人間は人々との「縁」によって変えられ、変わっていく存在であるから自分は必ず変えられると信じて、良くなろうと努力することを怠らず、多くの人々との「縁」を大切にし、人の為にすすんで奉仕する行為を実践することであり、これが金剛禅の修行を通した布教の在り方です。

2017年11月1日

森 久雄(茨城岩井道院長)

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2017年10月掲載
合掌
 少林寺拳法創始70周年の記念すべき年もいよいよ後半へと入ってきました。
 11月3日・4日・5日に開催される「ブルースカイキャンパスin多度津」への参加帰山をよろしくお願いいたします。
 さて、私たち金剛禅門信徒にとって10月は、達磨祭の月であります。
 この達磨祭は、皆さんご存知のとおり達磨大師の命日とされている10月5日、またはその前後に毎年挙行されています。
 祖師達磨大師を礼拝し、大師の命日にちなみ、その遺徳を偲ぶとともに門信徒の一人一人がいっそう拳禅一如の修行に精進し、「達磨の子」として自己を確立し、真の強さとやさしさを備えた人間になることを、大師の前に誓うための大切な儀式です。
 達磨祭は、開祖忌法要と並ぶ大事な金剛禅の儀式となりますので各道院、小教区に於いて門信徒の皆さま全員参加での挙行をお願いいたします。
 昨今、世間の話題は北朝鮮と衆議院選挙になっています。どちらも私たちにとっては身近で重大な出来事です。特に北朝鮮問題に関しては、開祖が語っていた「アジアの平和なくして世界の平和は無い」と言う言葉が今、まさに現実となっていることに驚かされます。
 今日、アジアの一国が仕掛けた無謀なテロ行為ともいえるような行動が世界中を震撼させアジアの平和が一瞬にして破壊させられてしまうかのような現状において、自国を守るべき愛国心が希薄で安保(アメリカ)任せという事に疑問の念を呈しているところです。
 私たちは平和的な解決を望むところですが、現在日本の政界ではあまり危機感を持っていないようで、安保の陰に隠れて状況を伺いこの選挙戦の中でも具体的な方策や方向性を訴える方はいないように思います。
 確かに外交は八方ふさがりでアメリカの動向に身を委ねるしかないのかもしれませんが、戦争だけは絶対に避けなければなりません。私たちは戦後70有余年を過ぎてもアジアの平和と友好をなしえなかった事実を、反省も含めて国家と国家、人と人の繋がりを原点に帰って見直す必要があるのではないでしょうか。
 独裁国家の北朝鮮に対しては日本人の民族性から考えるととてもではないが、理解できる範疇を悦脱しています。しかし、武力行使は絶対に避けなければならず武力行使ありきという、日本国内の風潮(流れ)を変える運動も含め我々に身近でできることを提言する必要が今突きつけられている気がしてなりません。
合掌再拝
 2017年10月1日
 森 久雄(茨城岩井道院長)

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2017年9月掲載
合掌
 8月は前半長雨で夏らしくない日が続いていたかと思うと、後半非常に暑い日があったりと、天候不順に悩まされましたが夏もあっという間に過ぎてしまい、子供たちにとっては今年の夏休みはあまり喜べなかったみたいです。
近日、地球規模での気候変動のニュースがテレビ等で伝えられています。大きな要因は地球温暖化によるものとされていますが、私たちにとっては何百年先か何千年先の事であり人類の危機に瀕する事象といわれてもあまりピンとこないのが現実と思います。
先月の新聞等の報道で、フランス政府が2040年までにガソリン車・ディーゼル車の国内販売をやめる方針を出し、ヨーロッパ諸国は相次いで自動車をEVにする計画を立てています。
 私が今から20年前、ドイツのフランクフルトに約一か月間ホームステイ滞在していた時の事を思い出します。6月後半の肌寒い時期でしたが太陽の日差しが出ている日は公園でシートを敷き半袖短パン姿で日光浴している姿を多く見かけました。芝生に寝ころんで肌を焦がす。これは短い夏を待ちきれずに日差しを謳歌するためなのでしょう。ヨーロッパの人たちは太陽の光に対して昔から強いありがたみを持っているようです。当時でも、信号待ちではアイドリングストップが守られていて環境問題に対する意識の高さを十分に伺うことができました。
 地球温暖化によりオゾン層が破壊され太陽の日差しに一番の恩恵を受けているヨーロッパ人が真っ先に淘汰されると考えているのかもしれませんが、人間と自然の関わり合いの中からも人間存在は生かされているのだという「ダーマ」のおおみちからを信じることができます。
 さて、今回は環境問題に例えて危機感を取り上げましたが、実際身につまされるまでなかなか実感が湧かないのが凡人なのかもしれません。
 私たちの金剛禅教団にとっての危機感は総裁の提言する2025年問題(高齢者とそれを支える若者との人数が逆転する問題)も含め門信徒数の減少にあると思います。
 これから迎える危機に対して今、私たちの行動すべきものを見極める時期に来ていることは否めない事実です。金剛禅運動の原点は人と人との繋がりの中から理想郷建設へと結びつく過程にあります。一人でも多くの人たちに金剛禅運動を理解して頂き同志として目標に参画していただけるような布教活動の実践が急務となっています。
 2017年10月1日
 森 久雄(茨城岩井道院長)

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2017年8月度 道院長法話

合掌
 いよいよ夏本番というところですが、今年の夏は昨年よりさらに暑い。年を追うごとに益々暑くなっていく様に感じるのは私だけでしょうか・・・。
 思い出すのは私の高校生時代、今日のようにエアコンのない教室で裸同然の格好(男子校です)で暑い暑いと言いながら授業を受けていたら、担任の先生が黙って黒板に大きく「心頭滅却すれば火もまた涼し」と書き、暑いと思うから暑いのであって暑くないと思えば暑くない・・・。と、大きな声で喝を入れられたことです。
 今にして思うと、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」とは、心の持ち方ひとつで、いかなる苦痛も苦痛とは感じられなくなるという、心の持ち方次第でしのげるという教えである。「心頭」とは、こころのことであり「滅却」とは、消し去ること。
 精神論や心の持ち方だけでそんなことができるかと思うところもありますが、私たちの修行に置き換え見比べた時、心頭を滅却して真理を見極めることの大切さを感じ取ることができます。
 「初生の赤子として信純単一にこの法修行に専念す」という誓願の一文の中にあるように、少林寺拳法修行にあたって心を他に奪われず、「無」な心がなければ道を見失う。すなわち物事や環境に囚われない心が必要であるという事になると思います。
 暑さを克服する「心」を持つにはまだまだ私にとっては修行が足りないと思っていますが、若者にとってはこの激暑もいい思い出になりそうです。
 これから暑い日が続くと思いますが、門信徒の皆さまのご健康をご祈念申し上げます。

合掌再拝
2017年8月1日

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2017年4月度 道院長法話

桜もだいぶ花開きそれぞれに新たな出発があり、一年の中で新年と同じく心機一転の志しを示す大事な月であると思っています。
 私の好きな中国の故事に「韓信の股くぐり」というものがあります。
「韓信」とは、漢の天下統一に功績のあった名将で、韓信が若い頃、町のごろつきに喧嘩を売られたが、韓信は大志を抱く身であったことから、ごろつきと争うことを避けて、言われるままに彼の股の下をくぐらされるという屈辱をあえて受けたという内容ですが、その後韓信は大成し、天下統一のために大活躍したという故事です。
将来に大望のある者は、目の前の小さな侮りを忍ぶべきという戒めであり、小さな怒りやトラブルに心をとらわれるのは、大きな志がないからである。
大きな夢や目標があるなら、韓信の股くぐりを座右の銘として小事にとらわれないように、肝に銘じることが必要である。
 とかく、新しいことや、改革というものを行うには何かと障害が付きものです。
しかし、志しを高く持ち、確固たる信念があれば自ずと自信や勇気や行動力がついてくるものです。
 今年度も、門信徒の皆さまのご協力の基、大いなる志しを持ち金剛禅運動に邁進する覚悟でおりますのでよろしくお願いいたします。
合掌再拝

2017年4月1日
森 久雄(茨城岩井道院長)

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2017年2月度 道院長法話

2017年 2月度
合掌
 1月もあっという間に過ぎ去り2月3日の節分の日を迎えました。
 節分とは本来、「季節を分ける」つまり季節が移り変わる節日を指し、立春・立夏・立秋・立冬それぞれの前日に、1年に4回あったものだそうです。ところが、日本では立春は1年のはじまりとして、とくに尊ばれたため、次第に節分といえば春の節分のみを指すようになっていったとの事でが、仏教界では「節分会」(せつぶんえ)として行うところもあるそうです。
 日本人の文化の中にすっかり溶け込んだ感じの節分会ですが、最近では「福は内、鬼は外」の豆まきよりも、黙ってほお張る「恵方巻」の方に人気が高まっているようで、日本人の宗教文化に垣間見る一抹の寂しさを感じている今日この頃です。

 さて、先月もご案内しましたが、少林寺拳法創始70周年の幕開けとしてSHORINJIKEMPOUNITY顧問・金剛禅総本山少林寺元代表の鈴木義孝先生をお迎えして「開祖の伝えようとしたことと、これからの金剛禅」をテーマに開催される千葉県教区「特別講演会」に是非とも門信徒の皆さまのご参加をお願いいたします。

講演会の中で、鈴木先生と開祖との魂の触れ合いの中から感じ取った心と心の思いや触れ合いを大いに語っていただくとともに、質疑応答の時間を設けましたので日頃の疑問や今後の取り組み方について「気づき」を発見できることと思います。

その「気づき」によって人は変われるはずです。自分から変わろうとする勇気をもって絶えず変化する、一切衆生悉有仏性としての自己(じぶん)を信じ共に歩み続ける「道」を更に広げたいと思います。

合掌再拝

2017年 2月4日
 森 久雄(道院長)

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 2016年12月度 道院長法話

合掌
 今年もあと一か月を切り、何かと気ぜわしい時期になってまいりましたが、健康第一で師走を乗り切りたいと思います。
  さて、世界では、米国大統領選挙のサプライズ選挙結果に余韻が醒めやらぬ中、株価は上下乱交し米国内でも選挙が終われば
ノーサイドとは行かず、各地でデモが続くなど、まだまだ混乱が続きそうな状態にあります。
 このように分断された米国社会を、どうやって再びユナイテッドの旗の基に一つにしていくかが、新大統領の最大の課題である
ことに私たちの関心が集まっています。
 また、韓国では大統領の解任問題に大きな国民の怒りの渦が高まり毎日のようにデモが繰り返されています。
 どちらも、最高指導者への期待と失望感の交錯の中から生まれてくる国民感情が熱く伝わってくる気がしてなりません。
 決してデモがいいとは言いませんが、自分たちの考えや主張を同志とともに声を挙げて訴えることのできる環境や自由さに平和
を感じることがあります。
 開祖が、「悪いことは悪い。いいことはいい。とはっきりものを言える人間になれ」と檄を飛ばされていました。ややもすると
事なかれ主義が美徳のような風潮がまかり通っている日本の社会では、今はなじめない世界の時事となっているのかもしれません。
 思いを熱く語れる仲間を周りに一人でも多く集め、また語れる場を提供し金剛禅の輪をますます広げたいと思います。
2016年12月1日 茨城岩井道院長 森 久雄(少法師)

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2016年11月度 道院長法話

合掌 
 だいぶ秋らしくなり寒さを感じる昨今ですが、みなさまに於かれましては各種行事に奔走され慌ただしい日々を送られていることと存じます。私にとっても、みなさまと同様に慌ただしい日々に追われていますが、その忙しさの中から見出される一時の休息に格別の空間を感じ取れることの幸せを実感している今日この頃です。
 「人は、人とのかかわりの中から成長する」という意味からして、道院や小教区という場に人が集まりその中での対話により自分の尺度を理解し、他人の考え方を勉強する絶好の機会ととらえることが大変大事なことであると思っております。拳技のみにとらわれず、自分の人生そのものを金剛禅の教義の中から俯瞰し自己を見直すことが易筋行たるものの醍醐味と思って私は常に行動しています。
 さて、10月22日(土)に度都道府県教区長会議が開催されました。
冒頭、金剛禅総本山少林寺大澤隆代表より「生きる力を育む文化」と題して基調講話がなされました。これから訪れるであろう、「2025年問題」をテーマとして、社会環境が大きく変わることに対応できる金剛禅教団を目標に、単位道院が特色ある組織づくりを目指す取り組みを具体的に述べられていました。
 特にこれからの若者に対して伝えていく道院長の情熱は欠かすことができないものであり、SKP(少林寺拳法機構改革)はその必要最小限の条件であるという事を力説していました。
 このことを踏まえ、茨城岩井道院としては今後も、研修会や講習会をとおして拳士に学ぶ機会を与えて、「生きる力」を育んでいく事に注力し、ダーマの分霊として自分のためにもなり、社会の発展のためにもなる教区活動を展開していきたいと思っています。
 門信徒の皆さまには機会あるごとに参加して頂き「自己を変革していく力」を体得し、充実した日々を送れることを切に願っております。 
結手
2016年11月1日 茨城岩井道院長 森 久雄(少法師)

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2016年10月度 道院長法話

合掌 
 10月に入ると、あと今年も残り3ヶ月。短いと思うか、長いと思うか・・・、みなさまの思いも様々でしょう。
 私たち金剛禅門信徒にとって10月は、達磨祭の月でもあります。ネットやフェスブックを検索してみると「少林寺拳法達磨祭」の文字が非常に多く現れてきます。それだけ積極的な活動がなされているという事だと思います。私の所属する千葉北部小教区に於いても10月1日(土)我孫子道院にて藤田竜太小教区長導師の下、厳かに挙行され厳粛な中にも温かみを感じさせる達磨祭でした
 この達磨祭は、皆さんご存知のとおり達磨大師の命日とされている10月5日、またはその前後に挙行されています。祖師達磨大師を礼拝し、大師の命日にちなみその遺徳を偲ぶとともに、門信徒の一人一人がいっそう拳禅一如の修行に精進し、「達磨の子」として自己を確立し、真の強さとやさしさを備えた人間になることを、大師の前に誓うための儀式です。
みなさまの修練する道院での儀式行事の開催をお待ちしております。
 さて、今月は達磨祭儀式に於いて導師が唱える「達磨祭祭司」の中で述べられているいくつかのことばに対して少し勉強してみたいと思います。
 祭司の中では、「祖師先師の恩徳のお蔭でこの法門に入り、道を聴く者は日に日に多く、教えを受けて行じる者は、みなすぐれた効果を得、心やすらかにし、身体を養って、聖なる教えが偽りでなかったことを確信しています。しかし「不立文字」(ふりゅうもんじ):(書物によらず)、「直指人心」(じきしにんしん):(自己の心を見つめ)、「見性成仏」(けんしょうじょうぶつ):(自己の心に仏性を発見し)「行念一如」(ぎょうねんいちにょ):(信念を行動に現す)のこのすぐれた法は、奥深くて、簡単に理解することも、体得することも難しいものですが、ここに同門の同志が集って、励みあうことで、この道を伸ばし広めることに努めています。
どうか、祖師のお導きにより、この道がいつまでも絶えることなく、伝わり広まって、法門の子々孫々に至るまで、幸せであり続けますよう念じてやみません。」と唱えられています
 これらの言葉は、日々の修行を積み重ねて自己の確立を向かう大乗禅たる達磨の禅風の特徴を現しています。また、金剛禅では「仏性」を「ダーマの分霊」と言い表しています。言い換えれば、ダーマに生かされながら自力の修行をしているという事なりますが、自他共楽で現されているとおり他者との援け合いがなければ宗門の行は成り立ちません。同門の同志が協力し合い、この達磨祭を機に更なる金剛禅運動の輪を広めていきたいと思います。
結手 
2016年10月1日 茨城岩井道院長 森 久雄(少法師)

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2016年9月 道院長法話

合掌 
暑さ寒さも彼岸まで・・・とはよく言ったものです。もう少しすると、夏の暑さが恋しくなる季節になってしまいます。人間は全くわがままな生き物ですね。
 今年の8月はいろいろな出来事がありました。第31回リオ・オリンピック競技大会はもちろんのこと、天皇陛下の生前退位のビデオ放映等もありましたがみなさまにはどの様に感じ取れたことでしょうか。
オリンピックに関しては、予想に反してメダルラッシュと騒がれています。私が非常に気になるのは、メダルの取れなかった選手に対する扱いです。8月は終戦記念日等との報道もあり、言い方が悪いかもしれませんが、特攻隊の生き残り的な心境とメダルに届かなかった選手の心境を重ね合わせてしまいます。
 国の威信をかけた大会に挑み、全身全霊を傾けて戦い結果としてメダル取得に至らず帰国の途に就く選手のことを考えると、スポーツの在り方や、報道の仕方、そして私たちを含めたスポーツに対する考え方を今一度見直し、プレーヤー、観戦者共に本当に楽しみを享受できるスポーツにならなくてはいけないと思います。
 昨今の報道は、メダルの数のみに重きを置き取れなかった選手や取れない競技は放映すらして貰えないのが現状です。開祖のよく言われていた言葉が脳裏に浮かびます。煩悩にまみれた俗人の中に没頭し俗人の眼で世の中を見たくない。私たちは金剛禅門信徒の眼で世の中を俯瞰したい。それによりまた違った感覚が観えてくる気がしてならないのは私だけでしょうか。
 天皇陛下の生前退位が各報道番組で取り上げられていました。
 人間天皇として自分の生き方までままならない現実に、今更ながらに昔の封建的な制度の在り方を引きづっている国の法制度の硬さに驚きました。皇室典範の法的根拠に抵触するかが問われていますが天皇陛下ご自身が国民に向かって、ご自身のことばで問いかけるというその行為そのものを考えると胸が熱くなります。
 
結手

2016年9月1日道院長 森 久雄(少法師)

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2016年8月 道院長法話

さて、いよいよブラジル・リオデジャネイロ第31回オリンピック競技大会も終盤を迎えています。
今回のオリンピックはロシアのドーピング問題がすっきりと解決しないままの開催となりましたが、オリンピックは人類が一つであることを確認できる絶好の機会であるとともに、素朴な運動の歓びを公正に分かち合い感動を共有することであり、身体的諸能力を洗練し自らの尊厳を相手の尊重に委ねる相互尊敬であると宣言されています。
 しかし、勝つことだけが全てであるような風潮も否めない現実があることも事実です。このスポーツ競技の持つ魔力に私たちの眼が翻弄させられているのかもしれませんが、金剛禅の教えと照らし合わせてみると、手段としてのスポーツがいつの間にか勝つことが全てであるかのような錯覚に陥っている現実を理解されると思います。また、薬物を使用してまでも勝つことにこだわることに何の意義も価値も見出せないことも理解しなければなりません。各国の選手同士の熱き戦いが我々の眼を釘付けにし、また歴史に残るようないい戦いや偉業達成があることを期待して最後まで見させていただきたいと思っています。

2016年8月1日道院長 森 久雄(少法師)


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2016年2月 道院長法話

さて、先月の武専授業の中で「師家講話」聴講がありました。その講話の中で「常に感性を磨いて社会の動向に関心を持ち・・・」というメッセージを述べられていました。
「感性」を磨くとは、私たちの金剛禅修行にどのような位置付けを持っているのか非常に気になるところでしたので、今月はその「感性を磨く」について考えてみたいと思います。

以前、20代半ばで志をもって本校武専に入学し現在幼稚園の経営と共に道院を開設し金剛禅運動を邁進している、実に実直な性格の卒業生の方からこのようなお話を聞いたことがあります。
入学当時、作務が日課であり夜明けとともに本堂、トイレ、階段、その他順番に毎日作務に明け暮れていました。このことが行うべき修行と思い勉学と共に1年もたったころ、自分の中のある変化に気づいたそうです。その気づきとは、毎日の日課である作務を含め、目にするものに対して整理整頓されているかどうかとか、もちろん汚れに対しても同様ですが、とにかく整理整頓の状況や、作務の段取り、手順まで自然と見えてくるようになったそうです。作務という修行の継続により、物事の考え方やそのプロセスの輪郭まで感じ取れるほどに感性が研ぎ澄まされてきたとの事でした。少しオーバーな言い方をしていると思われるかもしれませんが、感性を磨くという事は課題を持ちそれを深く追及することが必要なのかもしれません。その深い関心と追及の中から自然と自己の心理が脳の中で分別され必要な情報を瞬時に提供してくれるようになってきているのかもしれません。
私たちも、新聞や雑誌を何気なく眺めている時小さく「少林寺」という文字が載っているだけでも敏感に脳が反応し、目に入ってしまう事があると思います。不思議といえば確かに不思議なものです。

その感性を磨くためには目的と課題をもって情報を収集することが必要です。
・関心を持ち情報をいろんな角度からたくさん得る(常に収集の意識を持つ)
・情報の再構築(情報の真意を考えながらプロセスを整理する)
・情報の交換(他人とのディスカッションにより考え方や解釈の違いの根源を理解する)

感性とは、言い換えれば「センス」という事になります。いろいろな感性の中にも金剛禅的センスというものがあるような気がします。
私たちの信仰する金剛禅運動の目的や志に確固たる信念を持つことにより感性を磨くことができるようになり、センスの良さが生まれて来るのではないでしょうか。
感性とは、「感じ取る力」であり、日々の生活の中から感じ取る力を身に着けることができると思います。時代の流れを感じ取る力を持ち、接する人々の心(心理)を感じ取る力を養うためには、問題意識をもって物事を深く考え、より深く見ることが必要となってきます。この日々の修行ともいえるスキルを切磋琢磨することにより、紙背を読むことができ社会の動向や、政治の変化そして平和への取り組み方、社会問題いろいろなテーマが多く存在しますが、どれ一つをとっても、私たち金剛禅運動には欠かすことのできない情報です。アンテナを高く掲げ常に正しい眼(正見)を持ち、真理に照らして物事を考え(正思)、事あるごとに話し合える場を持ち同志相親しみによる金剛禅の輪を広げたいものです。

2016年2月1日
道院長 森 久雄(少法師)